西郷隆盛(さいごうたかもり)
1827~1877年 享年51
西郷隆盛は、1827(嘉永7)年薩摩藩の下級士族の長男として生まれました。
18歳で郡方書役助となり農政の現場で働きます。
1854年、農民の苦境を訴えた建白書を藩に提出すると、藩主島津斉彬の目にとまり、庭方役に抜擢されました。
江戸に出た隆盛は、諸藩の名士と交流し国事を論じるようになります。
1858(安政5)年に隆盛を抜擢した、藩主斉彬が急死すると隆盛は、旧思想の藩から奄美大島に島流しに遭います。
1864(元治1)年、時代が隆盛を必要となり、島流しから赦免されて上京し薩摩藩の陣頭指揮をとるようになります。
長州と薩長同盟を締結して、武力による倒幕を目指します。
朝廷への政治工作を行い、王政復古の大号令から鳥羽伏見の戦いを経て、徳川幕府を追い込みます。
徳川慶喜追討令の旗の下、大総督府下参謀となり江戸へ進軍します。
江戸城総攻撃を直前にして勝海舟と折衝、江戸城を無血開城することで、江戸を戦火から救いました。
維新が成った明治新政府では、参議として出仕し廃藩置県・徴兵制・学制発布・地租改正など日本の近代国家建設に力を発揮しました。
1873年、新政府の朝鮮への対応をめぐり決裂した隆盛は、政界を去り鹿児島に戻ります。
鹿児島に戻った隆盛は、「私学校」を設立し人材の育成と旧士族保護を目指しますが、新政府からは、私設軍隊および政治結社と見られました。
1877年2月私学校生徒らと新政府に対し西南戦争を起こします。
2万数千人の西郷隆盛軍は、熊本城を包囲しますが、近代化された新政府軍に敗北します。
大腿部に銃弾を受けた隆盛は、「もう、ここらでよか」と一言の後、切腹して果てました。
明治維新を指導し、維新後、近代国家の建設に力を尽くした隆盛は、維新の流れに乗り遅れた旧士族と共に、近代化された軍隊に敗れ去ることで、明治維新を完了したのです。
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