岩倉具視(いわくらともみ)
1825~1883年 享年59
京都の下級公家、堀川家の次男として生まれた具視は、幼少から儒学を学び、その才が認められ岩倉家の養子になりました。
幕末、公武合体派が主流となると皇女和宮の降嫁を推進し実現させます。
しかし、尊王派が主流となると佐幕派として蟄居させられました。
蟄居中に薩摩や土佐の志士と通ずることで武力による倒幕派へと方針を転換していき、大政奉還が成ると王政復古により徳川家を排除しました。
1871年(明治4)には、新政府において岩倉使節団を結成し、2年間の欧米視察に出かけました。
帰国後、征韓論で紛糾していた政府を宮中工作で処理し、西郷隆盛など多くの政治家を失脚させました。
公武合体から倒幕、そして明治政府での工作と、岩倉の多彩な変節は、維新の策士とされています。
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