高杉晋作(たかすぎしんさく)
1839~1867年 享年29
高杉晋作は1839(天保10)年、萩に長州藩中級武士の子として生まれます。
藩校である明倫館で学んでいた晋作は、19歳のとき、旧弊な気風を嫌い、吉田松陰による松下村塾に入門します。
松下村塾で、頭角を現した晋作は、1862(文久2)年幕府使節随行員として上海に渡りました。
そこで、欧米によって植民地化された清国の姿を見た晋作は、衝撃を受けます。
外国を排除して、日本国の力を持つべきとの信念を持ち、帰国後、イギリス公使館焼き討ちなど、過激な尊皇攘夷活動に傾倒していきました。
外国船を砲撃したことで、米仏艦隊から攻撃され大敗を喫した長州藩は、晋作に軍備の建て直しについて諮問します。
晋作は、武士のみならず農民や町民をも含めた奇兵隊を結成し、初代総督になります。
禁門の変で破れ、朝敵となった長州藩は、幕府への恭順派が台頭し、晋作は一時脱藩して兵を募ります。
恭順派を武力で排除すると、ただちに倒幕派による長州藩政権を樹立しました。
1866(慶応2)年、第二次長州征伐では、海軍総督に任じられ、幕府海軍を破り、長州に勝利をもたらせます。
倒幕が進むなか、晋作は、肺結核に倒れ、療養生活
に入りました。
幕末の動乱を起こす役割をはたした、高杉晋作は、明治維新の成就を見ることなく1867(慶応3)年、29歳で世を去りました。
時世は、”おもしろきこともなき世に おもしろくすみなすものは心なりけり”
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