和宮(かずのみや)
1846~1877年 享年32
皇女和宮は、1846(弘化3)年に仁孝天皇の第八皇女として生まれます。
公武合体で難局を乗り切りたい徳川幕府は、朝廷との間に政略結婚を企て、十四第将軍徳川家茂と和宮の婚儀を1862(文久2)年に実現させました。
17歳の和宮には、許婚がありましたが幕府の圧力に降嫁することを受諾し江戸に向かいます。
和宮は、将軍家に嫁いだ後、夫の家持につくし、支えますが、4年後 大阪城で家持が急死してしまいます。
家持の死後、朝廷からの帰郷の進めを断り、出家して江戸で夫の菩提を弔う日々を送りました。
大政奉還をした徳川家に新政府軍が討伐の動きを示すと、和宮は、「官軍差し向けられ、家お取り潰しに相成り候ならば、我が一命は惜しみ申さず」と攻撃の回避を嘆願します。
朝廷と幕府の間に翻弄された、皇女和宮は、1877(明治10)年に亡くなりました。
死後は、遺言どおり、東京の芝増上寺の夫、徳川家茂の隣に葬られました
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