山内容堂(やまのうちようどう)
1827~1872年 享年46
22歳で土佐藩の藩主に就くと従来の門閥支配を改革し革新派の吉田東洋らを起用して藩政を改革しました。
公武合体派として、幕政の改革にも乗り出します。
藩の参政である後藤象二郎から幕府が朝廷に政権を返上する大政奉還説を進言され、この案を将軍徳川慶喜に建白しました。
1867(慶応3)年、10月14日大政奉還が実現して、江戸徳川幕府は終焉します。
容堂は、あくまで倒幕を主張する薩長に対し、新政府は、徳川家中心の裂候会議を強く主張しましたが、会議の結果、将軍職剥奪、幕府領の返上は決定されてしまいます。
明治政府が成立すると、容堂は、内国事務総長などの要職につきますが、明治2年に辞任してしまいます。
生涯酒を好み、自らを”歳酔三百六十回、鯨海酔候”と一年中酔っている土佐の殿だと言っていたそうです。
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