島津斉彬(しまづなりあきら)
1809~1858年 享年50
幕末をリードした薩摩藩主です。
17歳のときには、ドイツ人医師シーボルトから医学と物理学を学び、西洋文明に傾倒しました。
西洋の砲術や科学技術にも興味をもち多くの文献を翻訳するなど開明てきな思想を持ちます。
こうした斉彬の姿勢が、父親の斉興をはじめとする藩の保守派から警戒をされ、異母弟の久光との間で、次期藩主をめぐるお家騒動になりました。
幕府による斡旋で、ようやく斉彬は薩摩藩主となります。
藩主就任後は、外圧から日本を守るために富国強兵を急務として、反射炉、蒸気機関、溶鉱炉、洋式紡績所などの最先端技術を導入しました。
人材の登用にも着手し、下級階級であった、西郷隆盛や大久保利通などを抜擢しました。
幕府の幕政改革を必要とし、上洛計画すすめていたときに病により急逝してしまいます。
斉彬の意思を受け継いだ人材によって、その後の明治維新は進められていきました。
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