語り部さるたのおすすめ日本の歴史上の人物 100選

さるたびこは、日本の神話に登場する導きの神様です。その名に因んで、語り部さるたが、日本の歴史に大きく影響のあった人物を語ります。

織田信長が一番恐れた武将 ”上杉謙信(うえすぎけんしん)”

 

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上杉謙信

 

上杉謙信(うえすぎけんしん) 1530~1578年 享年49

上杉謙信は、越後の守護代、長尾氏の四男として生まれます。

 

 長尾家を継いだ兄晴景が病弱なため、守護の上杉定実の調停で、兄の養子となり長尾氏の家督を相続します。

 

 

 関東での権威を衰退させていた、室町幕府関東管領上杉憲政の要請をうけて関東へ出兵し、名門山内上杉家関東管領職を相続します。

 

 謙信は、私欲で領土拡大の戦いは起こしていません。

 

 関東への出陣は14年間で十数回を数えますが、北条氏に追われた関東管領上杉憲政とその配下の武士たちを助けるのが目的でした。 

 

 武田信玄との長い戦いも、信濃の村上氏、小笠原氏などの庇護が目的でした。

 

 生涯を庇護の戦いに費やした謙信は、越後の春日山城で病を得て亡くなりますが、織田信長が一番恐れた武将でした。

 

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戦国時代最強の武将 ”武田信玄(たけだしんげん)”

 

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武田信玄

 

武田信玄(たけだしんげん) 1521~1573年 享年53

武田信玄は、清和源氏の家系のひとつで代々甲斐の国の守護を務めた、甲斐武田家に生まれます。

 

 21歳の時、父信虎を追放して武田家の当主になると、隣国の信濃を侵略し平定します。

 

 その後、駿河遠江三河信濃、美濃を次々に領有し、中部日本の大大名になりました。

 

 信玄の言葉に”人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、あだは敵なり”とあります。

 

 占領した領国の武士たちの多くを配下に加えて、戦国時代最強といわれた家臣団を作りあげたのは、信玄の人心掌握術と統率力によるものだったのです。

 

 1572年に上洛を目指し、甲斐をでました。

 

 途中遠州浜松の三方ヶ原で、織田、徳川の連合軍を一蹴します。

 

 もはや、信玄の上洛を妨げる勢力は、存在しなくなった状況で、突然病を発してしまいます。

 

 1573年(元亀4)甲斐の国へ帰る途中に病没してしまいました。

 

 その後、嫡男の勝頼が武田家を継ぎますが、名門甲斐源氏武田家は、織田信長のために滅亡させられてしまいました。

 

 歴史に、もしはありませんが、信玄の寿命があと10年あったとしたら、その後の歴史はどのようになっていたでしょう??

 

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西国の戦国武将 ”毛利元就(もうりもとなり”

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毛利元就

 

毛利元就(もうりもとなり) 1497~1571年 享年75

 地方の国人領主から、中国地方13ヶ国を領有する大大名になったのが毛利元就です。

 

 出雲の尼子氏と周防の大内氏にはさまれ、厳しい立場にあった元就は、次男を安芸の吉川氏へ、三男を備後の小早川氏に送り込み、勢力を伸ばします。

 

 1551年、従属していた大内義隆が家臣の陶晴賢に殺害されると、厳島に晴賢を急襲して自害させます。

 

 大内氏を滅ぼすと、残る敵の尼子氏を降伏させて、中国地方の覇者になりました。

 

 元就の築いた毛利家は、その後、戦国時代から江戸時代と領地は減少するも勢力を保ちます。

 

 幕末に長州藩として、明治維新をなしとげる礎を元就が築いたことになります。

 

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下克上の戦国時代をもたらした最初の人物 ”北条早雲(ほうじょうそううん)”

 

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北条早雲

 

北条早雲(ほうじょうそううん) 1432~1519年 享年88

 北条早雲が世にでたのは、1476年(文明8) 駿河の今川氏の家督争いに介入して、駿河興国寺城の主になったときです。

 

 そのころ、室町幕府の東国の経営は、鎌倉公方古河公方が争い、鎌倉公方足利政知伊豆の国に追われ、伊豆の国堀越公方と呼ばれていました。

 

 堀越公方の跡目相続問題にこじれが生じると、早雲は、伊豆に侵入し御所を焼き討ちして乗っ取りました。

 

 伊豆の韮山城を築くと、そこを拠点に関東に進出します。

 

 相模の国の小田原城を落とし、続いて平安時代からの名門三浦氏を滅ぼし、相模の国を平定しました。

 

 時に早雲85歳でした。

 

 戦国大名の北条家の祖ですが、東国に下克上の戦国時代をもたらした最初の人物が、北条早雲です。

 

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とんち話で有名な一休さん ”一休宗純(いっきゅうそうじゅん)”

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一休宗純

 

一休宗純(いっきゅうそうじゅん) 1394~1481年 享年88

 

 一休宗純は、室町時代臨済宗の禅僧です。

 とんち話で有名な一休さんです。

 

 一説には、後小松天皇落胤とされています。

 

 政治と癒着し腐敗した仏教界を批判をする一方で、肉食や女性関係など、より人らしくの悟りを開いたとされています。

 

 僧でありながら、人として

 

 ”門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし”

 

 ”釈迦という、いたづらものが世にいでて、おほくの人をまよはすかな”

 

”花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの”

 

などの言葉をのこしています。

 

 そして、88歳で臨終をむかえると”死にとうない”と言ったそうです。

 

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応仁の乱の片方の旗頭 ”細川勝元(ほそかわかつもと)”

 

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細川勝元

 

細川勝元(ほそかわかつもと) 1430~1473年

 

 応仁の乱の片方の旗頭である細川勝元は、

16歳で室町幕府管領に就任しました。

 

 管領となった勝元は幕府内の権力者、畠山持国に対抗するため山名宋全と同盟関係を結び勢力をなしました。

 

 しかし、急速に権勢を増してきた山名宋全との関係が悪化し、1467年(応仁1)に武力衝突がはじまりました。

 

 応仁の乱の始まりです。

 

  東西に分かれた応仁の乱は、緒戦、勝元の東軍が有利に展開していましたが、周防の大内政弘が西軍に参戦することで、膠着状態になりました。

 

 5年後の1473年(文明5)山名宋全が3月に、そして細川勝元が5月に病死しますが、戦乱は納まらず 戦国時代へと進んでいきました。

 

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応仁の乱を起こし戦国時代の幕を開けた守護大名 ”山名宋全(やまなそうぜん)”

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山名宋全

 

山名宋全(やまなそうぜん) 1404~1473年 享年70

 

 山名宋全は、室町時代中期の守護大名です。

 

 幕府創立期には、全国に11ヶ国の所領があった山名氏も山陰3ヶ国に衰退していました。

 

 

 宋全は、山名氏の家督を継ぎ家名の再興をめざします。

 

 武力で幕府に仕え幾多の乱の平定に尽力します。

 

 その結果所領は8ヶ国までに勢力を回復しました。

 

 力を得た宋全は幕府内で権力を振るい、幕府管領細川勝元との権力争いを激しくします。

 

 1467年(応仁1)に宋全を総帥とした西軍11万余と勝元を中心とした東軍16万余との間で戦いが始まります、これが応仁の乱です。

 

 応仁の乱は、将軍家の継嗣問題や管領家の争いなどを巻き込んで11年に渡って続きます。

 

 戦乱は、地方にまで波及し各地で下克上の風潮がひろまり戦国時代の幕開けとなりました。

 

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南北朝を統一した室町幕府三代将軍 ”足利義満(あしかがよしみつ)”

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足利義満

 

足利義満(あしかがよしみつ) 1358~1408年 享年51

 

 室町幕府三代将軍で, 幕府創立以来の懸案になっている、南北朝問題に取り組みました。

 

 弱体化しているとはいえ、神器を所持している南朝が力を盛り返す可能性があり、幕府の政権を磐石なものにするためには、天皇は、ひとりでなくてはなりませんでした。

 

 

 義満は、南朝側に「譲国の儀式」による神器譲渡、両統送立などの条件で和睦をせまります。

 

 有力武将の戦死や寝返りが続いた南朝側には、義満からの和睦条件を拒絶する余力はなく、1392年(元中9.明徳3)後亀山天皇北朝後小松天皇に神器を伝え、南北朝は終わりました。

 

 南北朝統一後、幕内での最大勢力、大内氏を討伐し、室町幕府の絶頂期をむかえます。

 

 京の北山に北山第を造営し、文化の発信地としました。 北山文化の象徴が金閣寺です。

 

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室町幕府を開いた初代将軍 ”足利尊氏 (あしかがたかうじ)”

 

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足利尊氏

 

足利尊氏(あしかがたかうじ) 1305~1358年 享年54

 

 足利尊氏は、室町幕府の初代征夷大将軍です。

 

 清和源氏の正流である、足利氏の嫡流に生まれ、下野の国足利の荘を治め鎌倉幕府の有力御家人でした。

 

 

 1333年、倒幕に挙兵した後醍醐天皇軍を征討するため尊氏は、鎌倉から出陣します。

 

 後醍醐天皇軍を攻める途中、極秘に北条氏追討の綸旨を受け取り、尊氏は倒幕に応じます。

 

 源氏の正流である、足利氏の寝返りの影響は大きく、多くの武士が足利軍に帰順し、幕府の六波羅探題は陥落しました。

 

 新田義貞の鎌倉攻めと合いまって、鎌倉幕府は滅亡します。

 

 幕府の滅亡後、尊氏は、源氏による幕府再興に進みますが、天皇親政を目指す後醍醐天皇と衝突してしまいます。

 

 後醍醐天皇を吉野に追って、光明天皇を即位させますが、後醍醐天皇が神器を所持しているため、二人の天皇が存在する異常事態となってしまいました。

 

 この後、半世紀にわたる南北朝動乱の始まりです。

 

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鎌倉幕府を滅亡させた武将 ”新田義貞 (にったよしさだ)”

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新田義貞

 

新田義貞(にったよしさだ) 1301~1338年 享年37

 

 新田義貞は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将です。

 

 八幡太郎源義家の四男源義国から始まる新田氏の嫡男として、上野の国新田の荘に生まれます。

 

 

 源氏の正流でありながら、鎌倉幕府での地位は低く、1331年(元弘元年)から始まった倒幕の変(元弘の変)では、幕府軍の一員として、河内の国で楠木正成を攻めました。

 

 しかし、義貞は病気と称して無断で新田の荘に帰ってしまいます。

 

理由は、北条氏の横暴に憤慨してとのこと、または、後醍醐天皇から、北条氏打倒の令旨が届いたとの説があります。

 

 上野国新田から、義貞は倒幕の軍をあげ鎌倉を目指します、

当初の兵力はわずか150騎と伝えられています。

 

 途中、同じ源氏である足利高氏(尊氏)の嫡男が加わったことで、関東周辺の御家人が多数加わり、義貞軍は、数万に膨れ上がります。

 

 幕府軍分倍河原で戦った義貞軍は、大勝します。

 その勢いで、鎌倉を攻撃して北条高時の一族を自害させ鎌倉幕府を滅亡に追い込みました。

 

 鎌倉幕府滅亡後の建武の政権では、武者所の頭となり、冠位も従四位になりますが、反乱を起こした、足利尊氏の軍に敗れてしまいます。

 

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最後まで朝廷に尽くした忠臣 ”楠木正成 (くすのきまさしげ)”

 

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楠木正成

 

楠木正成(くすのきまさしげ) ?~1336年

 

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝にかけての武将です。

 

 後醍醐天皇の倒幕の企てを聞き、河内の豪族だった楠木正成は挙兵します。

 

 総勢数万に及ぶ幕府軍は、後醍醐天皇のこもる笠置山を攻略し天皇隠岐に流しますが、下赤坂の砦にこもっていた、正成方はわずか数百人で抵抗奮戦をします。

 

 

 正成の奮戦に触発された武家が各地で倒幕に立ち上がり、鎌倉幕府は滅亡しました。

 

 幕府の滅亡後に、後醍醐天皇による建武政権がはじまり、天皇から絶大な信任を受けたのが楠木正成でした。

 

 1335年(建武2)に建武政権を離脱した足利尊氏が鎌倉で挙兵しました、正成は尊氏との和睦を天皇に訴えますが、受け入れられませんでした。

 

 翌年、摂津の湊川で、足利軍と戦い壮絶な最後をむかえました。

 

 最後まで、朝廷に尽くした姿は、その後長く忠臣とされ贈正一位を送られています。

 

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吉野に南朝を開いた ”後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)”

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後醍醐天皇

 

後醍醐天皇(ごだいごてんのう) 1288~1339年 享年 52

 

 文保2年(1318)31歳で即位した後醍醐天皇は、本来臣下であるはずの武家が政治の実権を握り、天皇家は権威は失っていることに不満をもちました。

 

 後醍醐天皇の不満は、鎌倉幕府、倒幕への強い意志となりました。

 

 

 倒幕を決意し、2度にわたって企てますが、幕府によって鎮圧され隠岐へ流されます。

 

 しかし、後醍醐天皇に応じて挙兵した楠木正成などが激しい抵抗戦を展開し倒幕戦は、全国へと広がっていきます。

 

 隠岐から脱出して、名和長年のもと再度挙兵した後醍醐天皇に、京では足利尊氏が、鎌倉では、新田義貞幕府軍を破り鎌倉幕府を滅亡に負いこみました。

 

 親政を始めた後醍醐天皇は、「すべての土地の所有権は、天皇のもの」と宣言し武士には、冷たい政治を開始しました。

 

 倒幕の戦で、働いた武士たちの不満は高まり武家の棟梁、足利尊氏は決別してしまいます。

 

 後醍醐天皇は、京を追われ、吉野に南朝を開き、政権回復をねらいますが果たせずに吉野の地で崩御います。

 

 その後、朝廷が二つ存在する南北朝の時代がおとずれます。

 

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蒙古の来襲を乗り越えた鎌倉幕府執権 ”北条時宗 (ほうじょうときむね)”

 

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北条時宗

 

北条時宗(ほうじょうときむね) 1251~1284年 享年34

 

 14歳で執権の補佐を務める連署に就任するなど、順調に出世をしてきた時宗が18歳のとき、蒙古帝国から朝廷に国書がとどきます。

 

 

 朝廷は、”国書を受理せず”の回答をし、鎌倉幕府は、蒙古襲来という非常時に備える方針をとります。

 

 蒙古来襲という、かつて経験したことのない国難を前に北条時宗鎌倉幕府執権に就任します。

 

 時宗は、蒙古侵攻を前に国をひとつにまとめるため、反対派の北条一門を誅殺します。

 

 また、鎌倉幕府御家人だけではない、各地の武家の権利も掌握して挙国一致体制を築きました。

 

 西国の御家人、武士の奮戦と暴風雨により、文永の役弘安の役と二度にわたってのました。

 

 蒙古を乗り越えたあと時宗は、燃え尽きるように亡くなりました。

 

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僧の堕落は富貴から起こるとし平僧の身分を貫いた、曹洞宗の開祖 ”道元 (どうげん)”

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道元

 

道元(どうげん) 1200~1253年 享年54

 

 内大臣藤原通親の子として生まれますが、13歳で比叡山に登ります。

 

 修行をするうちに、天台宗の教えに疑問をもつと同時に貴族化した比叡山に反感をもち山をおります。

 

 道元は、鎌倉時代初期の僧で、曹洞宗の開祖です。

 

 

 1223年に宋にわたり、曹洞宗の如浄に学び印可を受けて帰国します。

 

 座禅こそ悟りであるとした教えで、鎌倉の建長寺にて布教活動に努めますが、比叡山の圧迫を受け、越前に追われます。

 

 越前の地で、大仏寺(永平寺)を開山し、生涯、僧の堕落は富貴から起こるとし、世俗的な栄達を嫌い続けました。

 

 鎌倉幕府の執権や天皇かの招聘にも応じず、平僧の身分を貫きました。

 

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浄土真宗の開祖 ”親鸞 (しんらん)”

 

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親鸞

 

親鸞(しんらん) 1173~1262年 享年90

 

 親鸞は、鎌倉時代初期の僧、浄土真宗の開祖です。

 

 1173年(承安3)、京都に日野有範の子として生まれます。

 

 世の中は、平安貴族の時代が終わり、武士である平氏の時代を迎えたころでした。

 

 

 9歳のとき、京、東山の青蓮院で得度を受け比叡山に登り、20年に渡って修行を積みます。

 

 比叡山での修行に疑問を感じ、京、六角堂に百日参籠を行った親鸞は、厩戸王の示現を受けます。

 

 それにより、法然の下で専修念仏の道を歩むことになります。

 

 旧仏教の念仏弾圧にあい、法然とともに処罰をうけ、越後に配流になりました。

 

 配流後も専修念仏の布教をつづけます、妻の恵信尼との間に4男3女をもうけ広く民衆とともにあり続けました。

 

 赦免後も京には戻らず、信濃から常陸と20年にわたり布教を行いました。

 

 法然が開いた浄土宗から、親鸞の教えは、人は無力であり、それを自覚することから始まる。

 

自力での救済の限度を自覚し、阿弥陀仏の力を絶対視する他力本願を基とする、ただ念仏を称えるのみ。

 

とし、浄土真宗と称されています。

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