語り部さるたのおすすめ日本の歴史上の人物 100選

さるたびこは、日本の神話に登場する導きの神様です。その名に因んで、語り部さるたが、日本の歴史に大きく影響のあった人物を語ります。

鎌倉幕府初代執権 ”北条時政 (ほうじょうときまさ)”

 

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北条時政

 

北条時政(ほうじょうときまさ) 1138~1251年 享年78

 

 平安末期、伊豆国の豪族で桓武平氏流北条氏の出身。

 

 平治の乱で源氏が滅んだあと、伊豆国へ配流された頼朝の監視役となります。

 

 

 娘の政子頼朝の妻となった縁から、治承4年(1180年)の頼朝の挙兵に参加します。

 

 頼朝が鎌倉幕府を開くと幕府の重鎮となり、政敵の有力御家人をつぎつぎに排して、初代執権となります。

 

 晩年、後妻の牧の方を迎えると娘婿を将軍に就ける企てをして失敗したり、罪のない、幕府の忠臣、畠山重忠を誅殺したりして、とうとう失脚してしまいます。

 

 鎌倉幕府の執権職は、総領の北条義時が継ぎ、その後十六代の繁栄を成します

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浄土宗の開祖 ”法然 (ほうねん)”

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法然

 

法然(ほうねん) 1133~1212年 享年80

 

 法然上人は、平安末期から鎌倉初期の僧侶で、浄土宗の開祖です。

 

 法然は美作の国の押領使の家に生まれましたが、9歳のとき父が夜襲を受け殺されてしまいます。

 その後、比叡山に登り得度を受け、法然源空と名のります。

 

 

 比叡山で修行するうちに、極楽往生できるのは修行をした僧侶や貴族だけという教えに疑問を抱き山をおります。

 

 僧侶でも貴族でもない、民衆を救済するには、阿弥陀仏の本願にすがって極楽往生する。

 

 そのためにただ一心に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える専修念仏を行えば、誰でも極楽往生ができるという教え浄土宗を開きます。

 

 念仏を唱えれば救われるという教えは、各階層に支持され、民衆だけでなく、貴族や武士にも広く受け入れられました。

 

 急速な信徒の増大に、旧仏教の天台宗や奈良仏教から敵視されるようになり、1207年には、四国の土佐に流されてしまいます。

 

 1211年許されて京に戻った法然は、翌年大往生を遂げました。

 

 法然の教えは、多くの弟子に受け継がれ、日本仏教最大の浄土宗となりました。

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平氏打倒の先がけとなった武将 ”源頼政 (みなもとのよりまさ)”

 

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源頼政

 

源頼政(みなもとのよりまさ) 1104~1180年 享年77

 

平安末期の武将で歌人です。

  清和源氏の一流である、摂津源氏の嫡男として生まれ、朝廷に仕え武勇の武士として名声を得ていました。

 

 

 平治の乱のとき、同族の源氏の中でただひとり勝者の側に属し、その後の平氏政権下では、唯一源氏の武士として中央政界に留まります。

 

 平清盛に信頼され、武士としては、異例の従三位に昇りました。

 

 76歳になった頼政は、後白河法皇の第三皇子の以仁王平氏打倒を計画して、全国の源氏に令旨を送ります。

 

 計画は、平氏のわかるところとなり挙兵しますが、宇治の平等院に追詰められ自刃しました。

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平氏滅亡後、京洛北の地に余生をおくった、天皇の生母 ”平徳子 (建礼門院)”

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建礼門院寂光院

 

平徳子建礼門院)(けんれいもんいん) 1155~1213年

 

 平徳子太政大臣平清盛の娘として生まれ、平氏絶頂期に高倉天皇中宮となり、安徳天皇を生みます。

 

 

これにより、父清盛は天皇の外祖父として、揺ぎ無い権力を掌中に納めました。

 高倉上皇が亡くなると建礼門院と称します。

 

 1183年に木曽義仲が京に攻め込み、平氏都落ちをするとき、子の安徳天皇とともに落ち延びました。

 

 一の谷、屋島、と戦が続きましたが、とうとう壇ノ浦で源義経平氏は敗れ、徳子も安徳天皇とともに海に入水します。

 

 しかし、入水後徳子だけが、源氏の捜索に助けられます。

 

 平氏一門の人々そして子の安徳天皇が亡くなり、徳子建礼門院は、京、大原の寂光院で一人余生を送りました。

 

 権力絶頂の平氏に生まれ、天皇家に嫁ぎ、天皇を生み天皇の生母という地位から、追われる身になり、西国の海に我が子や母、兄弟たち一門の人々と共に入水したが、ひとり助けられて、京洛北の地に余生をおくった女性です。

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奥州藤原氏の三代目 ”藤原秀衡 (ふじわらのひでひら)

 

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ふじわらのひでひら

 

藤原秀衡(ふじわらのひでひら)  1122~1187年

 平安末期に奥州平泉に一大勢力を築いた、奥州藤原氏の三代目です。

 

 後三年の乱で、奥州の支配権を得た祖父清衡、独立した文化を築いた父基衡とつづき秀衡の代に奥州藤原氏は絶頂期を迎えました。

 

 

 奥州名産の駿馬や金による豊富な財力で、平泉の地に一大文化圏を築きあげました。

 

 その中心となったのが、寺塔40余り、僧坊300余りといわれた中尊寺などの寺院でした。 なかでも内外を豊富な金箔で覆った金色堂です。

 

 源頼朝が打倒平氏で挙兵すると、平氏から源氏を打つよう要請されますが、秀衡は、あくまで中立を保ち、奥州の独立を呈します。

 

 平氏が滅び、源氏に対抗する勢力が唯一奥州藤原氏となると、源頼朝は、弟義経を匿ったことを理由に征伐に動き出しました。

 

 両者の間が緊張するなか、1187年秀衡は、病を得てなくなります。

 

 秀衡をなくした、奥州藤原氏はあっけなく頼朝軍に敗れ去り、約100年に渡って平泉文化を築いた藤原氏は、滅亡してしまいました。

 

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平家を滅ぼした悲劇の武将 ”源義経 (みなもとのよしつね)”

 

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みなもとのよしつね

 

源義経(みなもとのよしつね) 1159~1189年 享年31

 平安時代末期の武将で平治の乱で討ち取られた、源氏の棟梁源義朝の子です。

  

 兄は、鎌倉幕府を開いた源頼朝になります。

 

 平治の乱のとき、2歳の義経は母の常盤御前と共に平清盛に捕らわれます。

 

 

 幼名を牛若丸といい、7歳で鞍馬寺に預けられましたが、16歳のとき僧になることを拒否し奥州の藤原氏を頼って逃亡します。

 

 奥州の藤原秀衡のもとで成長しますが、1180年、伊豆に流されていた兄頼朝が挙兵すると、ただちに馳せ参じます。

 

 兄、頼朝の命により、京に進行し源義仲木曽義仲)を討ち取り、その後は、一の谷、屋島、壇ノ浦と天才的な軍事力を発揮して平氏を滅ぼします。

 

 平家を滅ぼした勲功第一の義経でしたが、兄頼朝の許しを得ずに朝廷から冠位を受けたことで、勘気を被ります。

 

 頼朝と対立した義経は、西国行きを図り船出しますが、大嵐のために押し戻されてしまいます。

 

 頼朝は、義経追捕の令を全国に発するため、朝廷に守護地頭の政を認めさせます。

 

 義経は、追捕の目をかいくぐって奈良の吉野から、その後奥州の藤原氏のもとに姿を現します。

 

 再度、奥州平泉の藤原秀衡を頼った義経ですが秀衡が病没すると頼朝の命により秀衡の嫡男泰衡に襲撃され討ち取られてしまいます。

 

 その後、頼朝は、奥州藤原氏を攻め滅ぼし、日本全土を平定し鎌倉幕府を開きます。

 

 義経が、平泉で藤原泰衡に討ち取られたという正史とは別に、実は北に逃亡したという義経北行伝説が、現在になっても強く残っています。

 

 当時の奥州平泉の地から陸奥を経て津軽の地まで、義経北行の伝承は数多く、そして整然と残されています。 

 

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鎌倉幕府の尼将軍 ”北条政子 (ほうじょうまさこ)”

 

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ほうじょうまさこ

 

北条政子(ほうじょうまさこ) 1157~1225年

 鎌倉幕府を開いた源頼朝正室です。

 

  平治の乱の後、伊豆に流されていた頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家 政権を樹立すると御台所と呼ばれました。

 

 

 頼朝の死後は、落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれました。

 

 実子の頼家が将軍のあとを継ぐが、幕府の御家人との間に軋轢が生じます。

 

 政子は、頼家の病気に乗じて将軍職から除いてしまいます。

 

 傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称されました。

 

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平家を滅ぼし鎌倉幕府を開く ”源頼朝 (みなもとのよりとも)”

 


 

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みなもとのよりとも

 

源頼朝(みなもとのよりとも) 1147~1199年 享年53

源氏の棟梁

 源義朝の三男として生まれますが、1159年に起こった平治の乱で父と兄が討死すると、捕らえられ伊豆国に流されます。

 

 20年の流人生活の後、以仁王による平氏打倒の令旨を受け取ると挙兵します。

 

 初戦の石橋山の合戦では破れますが、その後、関東一円の豪族を糾合平定し鎌倉に一大勢力を築きます。

 

 頼朝自身は鎌倉から動かず、弟達を代官として軍を進めます、同族の木曽義仲を打ち破り、平氏を西国に追い込みます。

 

 壇ノ浦に平氏を滅ぼすと、戦功のあった弟の義経を追放し、義経追捕を理由に諸国に守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせます。

 

 日本中で唯一残った対抗勢力の奥州藤原氏義経をかくまったとの理由から、追討の院宣を引き出し滅ぼします。

 

 征夷大将軍に就任した頼朝は、諸国守護権と東国支配権を得て、鎌倉に幕府を開きました。

 

 鎌倉幕府から始まった武家による政権は、その後明治維新大政奉還まで、役680年間存続することになります。

 

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都から平家を追い落とした武将 ”木曽義仲 (きそよしなか)”

 

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きそよしなか

 

源義仲木曽義仲)(きそよしなか) 1154~1184年 享年31

 

 源義朝の弟で、武蔵国に勢力があった源義賢の次男として生まれます。

 

 父が、義朝の子、為平に討たれると信濃の木曽に逃れ、豪族中原氏のもとで育ちます。

 

 1180年に以仁王による平氏追討の令旨を受け取ると木曽の地で挙兵しました。

 

 翌年、越後の豪族、城氏を打ち破り、1183年には、平氏の大軍を倶利伽羅峠で撃破し、北陸路から一気に京に攻め込み、平氏を追い払いました。

 

 京に入った義仲は、後白河法皇と対立し、法住寺殿に攻め込んで源頼朝追討の院宣を無理やり出させてしまいます。

 

 これに対し頼朝は、弟の範頼、義経に義仲討伐のため上洛させます。

 

 両軍は、勢田・宇治で戦い、義仲は討ち死にします。

 

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武士による政権移行から朝廷を守った ”後白河法皇 (ごしらかわほうおう)”

 


 

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ごしらかわほうおう

 

後白河法皇(ごしらかわほうおう) 1127~1192年 享年66

 

第77代天皇です。

 

 29歳のとき、弟の近衛天皇の急死より即位します。

 

 この皇位継承をめぐって兄の崇徳上皇と争った保元の乱で、平清盛の台頭をゆるします。

 

 平氏による政権、そして源氏による鎌倉幕府設立という、公家から武士に政治勢力が変転する過程で、34年に渡り院政を行い朝廷を守りました。

 

 平清盛木曽義仲源頼朝、などその都度の武士権力者から幾たびの幽閉や院政停止に追い込まれますがそのたびに復権します。

 

 後白河法皇が出した追討令旨は、

 源氏追討を平氏に、 平家追討を源氏に、 木曽義仲追討を源頼朝に、 源頼朝追討を木曽義仲に、 源頼朝追討を源義経に、 源義経追討を源頼朝に、 奥州藤原氏追討を源頼朝に、 など、その時々の情勢で変転しています。 

 

 このようにしてその後の朝廷と武家の関係の基を築きました。

 

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鎌倉時代初期の漂白の歌人 ”西行 (さいぎょう)

 


 

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さいぎょう

 

西行(さいぎょう) 1118~1190年  享年73

 

西行は、平安末期から鎌倉初期の歌人です。

 

 武門の名流である、秀郷流藤原家に生まれ、朝廷の警護をする北面の武士として勤めていました。

 俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といいます

 

 23歳のとき、突然、武士としての無常観を思い家も妻子も捨てて出家してしまいます。

  出家後、嵯峨に草庵を結び、西行と称し、陸奥国や四国などへの旅を重ね、多くの和歌を残します。

 

 63歳のとき、東大寺復興勧進の旅にでた西行は、鎌倉の地で将軍源頼朝に面会します。

 

 世のことなどを教えられた頼朝は、黄金の置物を贈ります。

 

 西行は、退出のさい、門前で遊ぶ子供たちに、黄金の置物を渡し立ち去ります。

 

 願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

 

 こう読んだ西行は、生涯を諸行無常を常とし漂白の歌人として、望んだように桜の季節に亡くなりました。

 

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平家を滅ぼした、源頼朝、義経の父親 ”源義朝 (みなもとのよしとも)”

 

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みなもとのよしとも

 

源義朝(みなもとのよしとも) 1123~1160年 享年37

 

 清和源氏嫡流として、京で生まれますが東国で育ちます。

 鎌倉を中心に勢力をのばし、東国の豪族を傘下に納め強い基盤を持ちます。

 

 1156年の保元の乱では、父の為義や弟の為朝と相対し後白河天皇方として平清盛とともに戦い勝利を得ます。

 

 しかし、乱後、父や弟を処刑しなければならず、源氏の勢力を大きく失いました。

 

 1160年には、後白河天皇平清盛に対抗して平治の乱を起こしますが破れます。

 

 東国に向けて逃避する途中、尾張国で家来の長田忠致に入浴中襲われ殺されてしまいます。

 

 義朝の子の頼朝、そして弟の義経が生き残り、その後の歴史を作ります。 

 

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武士として始めての太政大臣 ”平清盛 (たいらのきよもり)”

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たいらきよもり

 

平清盛(たいらのきよもり) 1118~1181年 享年64

 

 平安時代末期に平氏の棟梁忠盛の嫡男として生まれます。

 父、忠盛は宋との貿易を行い、兵力、財力を蓄えていました。

 父の死後、平氏の棟梁になった清盛は、1156年に起こった保元の乱後白河天皇側にたち勝利を納めます。

 

 

 その3年後に保元の乱で共に戦った源氏の棟梁、源義朝平治の乱で戦い、これにも勝利します。

 

 保元の乱平治の乱で、平氏以外の有力武士が滅亡したため、清盛は朝廷の軍事力、警察力を掌握し公卿に代わる武士による政権を樹立します。

 

 武士として、初めて正三位の参議になったのをきっかけに1167年には、太政大臣という最高官職に就きます。

 

 平家一族も日本66国のうち半数の国を支配し、荘園は全国に500以上という繁栄の時代を築きました。

 「平家にあらずんば、人にあらず」と平時忠(清盛の義弟)が誇ったほどでした。

 

 平家による専横が激しくなると朝廷では、後白河法皇を中心に反平氏の気運が高まりだします。

 

 1180年、日本各地の武将たちに打倒平氏の令旨が以仁王(もちひとおう)の名で、発せられます。

 

 伊豆に流されていた源義朝の遺児、頼朝は令旨に応じて立ち上がり、源平の争乱が始まります。

 

 清盛は、源平の戦いの結果を待たずに、病を発して息を引き取ります。

 

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奥州に平泉文化を築いた武将 ”藤原清衡 (ふじわらのきよひら)”

 


 

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ふじわらのきよひら

 

藤原清衡(ふじわらのきよひら)1056~1128年 享年73

 平安時代の奥州に、京にも勝る文化を約100年にわたって開いた平泉藤原氏の初代です。

 

 清衡は、前九年の役で滅亡した安倍氏の母と亘理の権大夫という官職をなげうって安倍氏に帰属した藤原経清の間に生まれました。

 

 

 父経清の死後、母が前九年の役で敵対した出羽の清原氏の嫡男、清原武貞と再婚したことで清衡も清原清衡と名のります。

 

 20年後、陸奥、出羽に勢力を伸ばした清原氏に内乱、後三年の役が勃発すると、清衡は源義家の力を借りて勝利します。

 

 奥州全域の勢力権を得た清衡は、父の藤原姓に戻り藤原清衡と名乗り、平泉の地に政治文化の中心になる中尊寺を建設します。

 

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大和朝廷の侵略に立向かった陸奥の武士 ”安倍貞任 (あべのさだとう)”

 

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あべのさだとう

 

安倍貞任(あべのさだとう) 1019~1062年 享年43

 

 平安時代中期の陸奥国の武将。

 

 朝廷の支配に帰属している陸奥出羽国蝦夷(えみし)は俘囚(ふしゅう)と呼ばれていました。

 

 陸奥の俘囚、奥六郡の豪族、安倍氏の棟梁であった貞任は、朝廷からのたび重なる侵略に断固反意を表し、派遣された源氏軍と約12年にわたって戦います。(前九年の役

 戦いは、朝廷側から安倍に帰属した妹婿の藤原経清や弟の安倍宗任などと協力し、終始源氏軍を破り続けます。

 

 

 1062年になり,朝廷軍は出羽の俘囚の長、清原氏と結び安倍軍を攻めます。安倍貞任は、とうとう厨川の柵に追詰められた、安倍一族は滅亡します。

 

 しかし安倍の血はその後、各地で生き続け日本史上に大きな影響を与えます。

 

 貞任の妹と藤原経清の子清衡は、前九年の役で父経清が殺害されたのち、清原氏に引き取られます。

 21年後清原氏の内乱、後三年の役に勝ち抜き、陸奥、出羽両国を支配します。

 

 藤原清衡、平泉藤原4代の祖になる人物です。

 

 貞任の嫡男は父と共に厨川で死にますが、次男高星丸は、津軽地方へ逃れ豪族安東氏の祖になったとされています。

 

 貞任の弟、宗任は、厨川で投降しますが、許されて九州に流されます。

 源平時代に平家の水軍として活躍する松浦氏は宗任の流れとされています。

 

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